食事の準備

 妻を思っても見なかった病気で失い、あっという間に父子家庭生活に陥ったのが56歳の時。家計を維持するために仕事は続けていましたが、息子は中学生。当然ながら日々の食事は私が準備をすることに。

 というわけで日々悪戦苦闘の食事作りが始まりました。幸か不幸か、学生時代私は父親の仕事の関係で、都内の薄汚い4畳半のアパートで数年間一人暮らしを経験。

 半畳ほどのキッチンがついていて、トイレは共同。風呂は銭湯という、今考えると劣悪な環境ですが、若かったこともあって、一人暮らしを逆に楽しんでいました。

 当然ながら金がないためにそんな貧相なアパートに暮らしていたわけですが、その頃に多少なりとも覚えた自炊生活が父子家庭代になって生かされました。

 料理の基本は、まず包丁を使えること。続いてそのまま食べるもの、焼くもの、煮るもの、炒めるもの、揚げるものといった区分を知ること。

 そういったことを、母親の家から借りてきた料理の本で覚えました。とはいえ、焼くにも煮るのも炒めるのもすべてが初体験ですから旨くいくはずがありません。

 時には「こんなもの食えるか」と思えるような料理もありましたが、当時は若さで何とか乗り切りました。

 というわけで、妻が他界した56歳から仕事から帰ってきて包丁を握る機会が増えました。ただし、どんなに早くても仕事が終わるのは5時半ぐらい?です。

 そこから帰宅するまでの時間でスーパーに寄り食材購入をして、さらにその食材でおかずを作ることになるわけで、幸いに職場まで車で30分程度でしたが、それでも疲れ切った体での食事作りは堪えました。

 結局そういった生活環境に体の方が値を上げて、1年後の57歳に早期退職するわけですが、その顛末はまた別のページで。

 話を戻して食事作りですが、ともかく大変。仕事が終わってスーパーに行くまでの間にメニューを考えるか、スーパーで安くなった食材を見つけてメニューを考えるわけですが、当然ながら料理のレパートリーがほとんどありません。

 学生時代の調理経験が生かされたものの、今度は自分だけでなく、息子が満足できるような料理を作らなければなりません。

 というわけで、早い話がご飯を炊いて、味噌汁を作って、あとは焼肉とか刺身とか、場合によってはレトルトカレーやスーパーの総菜コーナーで買ってきたものや冷凍食品を食べると言うことも多かったです。

 それでも続けていれば少しずつ知識は増え、包丁の切り方一つも徐々に変化しうまくなっていくようです。最初は焼肉、刺身が主になり、やがてこれに手作りカレーやシチューが加わり、さらに炒め物も増えていきました。

 そういった生活が始まっていつの間にか10年がたち、今は66歳になっています。この間節約のために基本的に外食はほとんどせず、夕食はひたすら手作りで頑張っています。

 というわけで、今もネットのレシピを参考にして、新たな料理にチャレンジしていますが、メニューを考えるのは頭の体操、包丁をふるうのは運動神経の体操だとも思え、認知症予防にも良いのではと思っています。



息子の弁当作り


食事について


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